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Ol’ Dirty Bastard(オール・ダーティー・バスタード)

本名:Russell Tyrone Jones

生年月日:1968年11月15日~2004年11月13日(享年35歳)

Wu-Tang Clan(ウータン・クラン)のオリジナルメンバーでありながら、ソロ、またFugees(フージーズ)のラッパー/プロデューサーとしても活躍、しかし麻薬所持、強盗、その他数々の犯罪で刑務所に入ることを繰り返しつつ2004年11月13日に35歳という若さでドラッグの過剰摂取で死亡。死去する前に3rdアルバムを完成させているが、未だリリースはされていない。

ステージネームは1980年のカンフー映画『Ol’ Dirty and the Bastard』にちなんでおり、1970年代のカンフー映画にインスパイアされたリリックを多く使用している。

 

Early life and Wu-Tang Clan

ニューヨーク・ブルックリン出身。子どもの頃、後にWu-Tangで同じメンバーとなった従兄弟のRZAとGZAとともにラップとマーシャルアーツ映画に興味を持ちながら育つ。3人はForce of the Imperial Master(フォース・オブ・ザ・インペリアル・マスター)というグループを結成し、シングル「All in Together Now」がアンダーグラウンドでヒットしたことから歌のタイトルをとってグループ名をAll in Together Now(オール・イン・トゥギャザー・ナウ)と変更。

その後メンバーを6人増やし、Wu-Tang Clanを結成。1993年の『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』でメジャーデビューを果たし、一躍メインストリームに躍り出た。

 

Music career

1995年3月に『Return to the 36 Chambers: The Dirty Version』でソロデビュー。シングル「Brooklyn Zoo」、「Shimmy Shimmy Ya」のヒットでプラチナアルバムとなった。多くの音楽評論家に『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』同様“荒々しく気骨のある”サウンドと評されたこの作品はRZAと4th Disciple(フォース・ディシプル)によってプロデュースされ、『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』よりももっと無駄を省いたミニマルなビートに仕上がっている。同年、Mariah Carey(マライア・キャリー)の「Fantasy Remix」に参加。

1997年にリリースされたWu-Tangのセカンドアルバム『Wu-Tang Forever』では、ソロトラックは1曲、バースで3曲、フックで1曲とデビューアルバムよりも少ない参加となった。

1999年、服役のあいまを縫ってソロとしてのセカンドアルバム『Nigga Please』をリリースし、ビルボード200で発売初週に10位にランクイン。The Neptunes(ザ・ネプチューンズ)がプロデュースし、R&BシンガーのKelis(ケリス)をフィーチャーしたシングル「Got Your Money」などを収録している。

2001年にはクラック・コカイン所持により再び逮捕、収監される。そのため彼の当時のレコードレーベルであったElektra Records(エレクトラ・レコーズ)は度々問題を起こしていた彼との契約を終了させるためそれまで2枚しかアルバムを出していなかったOl’ Dirty Bastardのベストアルバムを発売することを決定。契約終了後、2002年にD-3 Records(D-3レコーズ)から『The Trials and Tribulations of Russell Jones』が発売された。

2003年、刑務所を出たOl’ Dirty Bastardは、Mariah Carey、Jay-Z(ジェイ・ジー)の元マネージャーだったDamon Dash(デイモン・ダッシュ)とともにRoc-a-Fella Records(ロッカフェラ・レコーズ)を訪れ契約を結ぶ。その後保護観察期間により母親の元で生活しながらもニューアルバム『A Son Unique』のレコーディングを行う。アルバムはDamon Dash Music Group(デイモン・ダッシュ・ミュージックグループ)から2004年にリリースされる予定だったものの、現在もお蔵入りとなっている。

2004年10月にJon B(ジョン・B)のアルバム『Stronger Everyday』に収録されたトラック「Everytime」が最後のコラボレーションとなる。

 

Legal Troubles

1993年、Ol’ Dirty Bastardは第二級暴行罪と強盗未遂で有罪判決を受け、また1994年にはあるラッパーとの口論から腹部に銃撃を受けている。1997年には12人の子どものうち3人に対する養育費の未払いで逮捕され、1998年には元妻に対する暴行未遂で有罪判決を受けている。また同年にはガールフレンドの家で強盗にあい、背中と腕に銃弾を受けたが、いずれも軽症で済んでいる。

1998年7月、強盗にあった数日後にはヴァージニア州ヴァージニアビーチのスニーカーショップで50ドルのスニーカーを万引きしたとのことで逮捕。その後、幾度に及ぶ出廷命令に従わず、逮捕状が出された。その数週間後には、ロサンゼルスにて口論の末に脅迫罪で逮捕、またそれから数日後にも、詳細は明らかにされてはいないものの殺人未遂と銃刀法違反の罪で再逮捕されているが被害者の訴えは棄却されている。

1999年1月、ブルックリンでOl’ Dirty Bastardが2人の白人警官に向けて発砲したとして、彼らから8弾を撃たれる。しかしその後、当時彼が乗っていた車からも付近からも銃・薬きょうのいずれも見つかっていないとして大陪審で彼の訴えが認められた。

1999年2月には免許証不所持などの罪で、それから数週間後にもニューヨークでクラック・コカイン所持と交通法違反で再逮捕された。

2000年10月、裁判所命令で滞在していた麻薬常用者のリハビリ施設を抜け出し、1か月ほど逃亡生活を送る。その際にはRZAのもとを訪れレコーディングスタジオにこもったりすることもあり、Wu-Tangの3rdアルバム『The Wu』のリリースパーティでは、酒を片手にステージに登場もしている。2000年11月終わりに、フィラデルフィアのマクドナルドでファン相手にサインをしているところを逮捕されフィラデルフィア刑務所で数日過ごした後にニューヨークに移送された。マンハッタン裁判所では2年から4年の服役を言い渡された。

2012年に情報公開法により、FBIによって生前のOl’ Dirty Bastardの犯罪情報が公開され、Ol’ Dirty Bastard に関する3件の殺人事件、NYPDとの銃撃戦への関与疑惑、またWu-Tang Clanに対してRICO法(組織犯罪対策法のひとつ)違反の疑いによる捜査についての詳細が明らかになった。

 

Death

自身の36回目の誕生日の2日前である2004年11月13日16時35分ごろ、ニューヨークにあるRZAのレコーディングスタジオ36 Chambers Records LLC(36チェンバーズ・レコーズLLC)で倒れたOl’ Dirty Bastardは、その約30分後の17時4分にこの世を去った。解剖の結果、彼の体からは致死量のコカインと抗うつ剤の一種であるトラマドールが検出された。その後ブルックリンにあるChristian Cultural Center(クリスチャン・カルチュアル・センター)で行われた葬儀には何千人ものファンが集まった。

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