- 2014-6-26
- GHOSTFACE KILLAH, GZA, INSPECTAH DECK, MASTA KILLA, METHOD MAN, ODB, RAEKWON, RZA, WU-TANG CLAN
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Wu-Tang Clan(ウータンクラン)
RZA、 GZA、Method Man(メソッドマン)、Raekwon(レイクウォン)、Ghostface Killah(ゴーストフェイス・キラ)、Inspectah Deck(インスペクター・デック)、U-God(U・ゴッド)、Masta Killa(マスタ・キラ)、そして故Ol’ Dirty Bastard(オール・ダーティ・バスタード、以下ODB)を中心に結成されたニューヨーク出身のヒップホップグループ。メンバーは流動的であり子供時代の友人である準メンバーCappadonna(カパドナ)が参加することもある。実質的なリーダーでありグループプロデューサーであるRZAを中心に1990年代初頭にスタテンアイランドで結成された(ただしODB、GZA、Masta Killaはブルックリン出身)。またWu-Tang Killa Bees(ウータン・キラ・ビーズ)として、他のアーティストやグループをメンバーがプロデュースしたり、他のアーティストとメンバーによるサイドプロジェクトなどの活動も多岐にわたって行っている。なお「Wu-Tang Clan 」という名前についてはRZAとODBが『Shaolin and Wu Tang(邦題:少林拳対武当拳)』というカンフー映画から採用したものである。
2008年にはAbout.comにおいて史上最高のヒップホップグループNo1に選出され次のように評されている。「Wu-Tang Clanのカオスにも近い団結力は、ヒップホップの歴史においていかなる武器も太刀打ちできないものである。それぞれのメンバーが個々の奇抜さを持ち合わせ、グループに多くの個性が生まれており、オーディエンスへのアプローチに全く恐れを抱いていない。彼らのサウンドを再現できたグループが他にいないことには理由があるのだ」。『Rolling Stone』誌のKris Ex(クリス・エックス)は彼らを「史上最高のラップグループ」と呼び、2004年にはNMEによって過去10年で最も影響力があったグループの一つと評している。
1992–96: Enter the Wu-Tang (36 Chambers) and solo albums
(1992ー1996:「Enter the Wu-Tang(燃えよウータン)」とソロアルバム)
Wu-Tangは1993年にリリースしたインディペンデントレーベルからのシングル「Protect Ya Neck」によって知られるようになり、特にKat Nu(キャット・ニュー)とCypress Hill(サイプレス・ヒル)とのツアーの後にアンダーグラウンドシーンで支持されるようになった。それぞれのメンバーが他のレーベルからのソロ活動を行っていたという理由でグループ自体と契約するレコードレーベルの獲得は困難な状況だったものの、最終的にLoud/RCA(ラウド/RCA)が契約に合意し、1993年11月にデビューアルバム『Enter the Wu-Tang(36 Chambers)』をリリースするに至った。このアルバムは高い評価を得ており、現在においてもヒップホップ史上最高のアルバムのひとつに数えられている。このアルバムの成功によりWu-Tangは1990年代中盤におけるヒップホップミュージック界において創造的で影響力のあるグループとしての地位を確立し、ODB、GZA、RZA、Raekwon、U-God、Method Man、Ghostface Killahらメンバーのソロ契約も次々となされた。RZAはWu-Tang Clanの型破りなビジネスモデルをこう語っている。
「Wu-Tang Clanはヒップホップビジネスの構造を新たに作り替えたんだ。グループとしてひとつのレーベルと契約しているけれど、それぞれのメンバーに関してはどこのレーベルと契約してもいいってね。例えばMethod ManはDef Jam(デフ・ジャム)、RaekwonはLoudのまま、GhostはSony(ソニー)だし、GZAはGeffen Records(ゲフィン・レコーズ)だ。Wu-Tangは経済的ムーブメントでもあるんだ」
『Enter the Wu-Tang』の成功により、RZAはPrince Paul(プリンス・ポール)、Frukwan(フルークワン)、Poetic(ポエティック)とともに新たなサイドプロジェクトThe Gravediggaz(ザ・グレイブディガズ)を立ち上げ1994年8月に『6 Feet Deep』でデビュー、ホラーをテーマにしたリリックとイメージのヒップホップの新しいサブジャンル“ホラーコア”を確立した。
1994年11月にはMethod Manによるソロアルバム『Tical』がリリースされる。RZAによる完全プロデュースで、この作品に収録された「All I Need」のリミックスであるMary J. Blige(メアリー・J・ブライジ)とのコラボレーション「I’ll Be There for You/You’re All I Need to Get By」は大ヒットし、1995年のグラミー賞でBest Rap Performance by a Duo or Groupを受賞するに至った。
1995年3月にはODBが『Return to the 36 Chambers: The Dirty Version』でソロデビューを果たす。ビルボード200で最高7位にランクインした今作は、ヒップホップの傑作アルバムの1枚と言われている。
1995年夏~秋にかけてはRaekwonが『Only Built 4 Cuban Linx…』で、GZAが『Liquid Swords』でソロデビューし、Wu-Tangメンバーのソロアルバムの中でも最も高く評価された作品となった。『Only Built 4 Cuban Linx…』は、その数年前に廃れ始めたMafioso(マフィオーソ)ラップをリバイバルさせていることで注目されており、またアルバム全体に渡って1989年のJohn Woo(ジョン・ウー)監督映画『The Killer(邦題:狼男たちの挽歌最終章)』からの引用句が多用されている。Wu-TangからはGhostface Killahがゲスト参加しており、準メンバーであるCappadonnaがフィーチャリングとして初めてメジャーに登場したのもこのアルバムであり、またWu-Tangとの関連がないMCとして初めてNas(ナズ)が登場している。GZAの『Liquid Swords』も、『Only Built 4 Cuban Linx…』と同様インナーシティの犯罪にフォーカスを置いたコンセプトとなっているが、GZAによるホラーなリリックに、キーボードを多用した不吉を連想させるサウンドでもっとダークな仕上がりになっている。また1995年にはWu Wearブランドもスタート。大きな成功を収め、ヒップホップカルチャー全体にも影響を及ぼした。もともとは、Wu-Tang ClanのニセモノのTシャツが出回ったことに対抗しようとして始められたブランドだったが、ジーンズやアクセサリーまで揃えた本格的なラインを発表するようになり、2000年代中頃までにはPuff Daddy(パフ・ダディ)、Jay-Z(ジェイ・ジー)、50 Cent(フィフィティ・セント)などメジャーなラッパーがこぞって服のブランドを発表するまでとなったほどの影響を与えた。
翌1996年10月にGhostface Killahがソロとして初めてのアルバム『Ironman』をリリース。キーボードの重厚な音が不吉な『Liquid Swords』と、ソウルのサンプリングがセンチメンタルな『Only Built 4 Cuban Linx…』のちょうど中間ともいえる絶妙なバランスのサウンドと、リリシストとして新しい境地を開拓したGhostfaceのスキルにより、今作もWu-Tangメンバーのソロアルバムの中で最高と言われる作品になった。また同年、Wu-Tangはアメリカ国内のアフリカン・アメリカンの男性のあいだで広がったエイズに対する意識を高めようとRed Hot Organizations(レッド・ホット・オーガニゼーションズ)が制作したコンピレーションアルバム『America Is Dying Slowly』にBiz Markie(ビズ・マーキー)、Coolio(クーリオ)らと参加。こちらもヒップホップ誌『The Source』で“傑作”と呼ばれる作品になった。
1997–2000: Wu-Tang Forever’, diversification and second string of solo albums
(1997-2000:『Wu-Tang Forever』と第二弾ソロアルバム)
メンバー個人のソロ活動が活発化するなかで、グループは1997年6月にファン待望の2枚組アルバム『Wu-Tang Forever』をリリース。発売初週にビルボードチャートでNo.1を獲得し、グラミー賞へもノミネートされ、マルチプラチナを獲得するに至った。メインストリームでもなく、また大衆向けのサウンドでもない彼らによるこの偉業はCNNのニュース番組で特集されることとなった。RZAは過去3枚のソロアルバムをもとにサウンドを構築し、キーボードと弦楽器のサンプリングを多用。また初めてRZAの弟子であるTrue Master(トゥルー・マスター)と4th Disciple(フォース・ディシプル)に何曲かのトラックのプロデュースが任された。『Enter the Wu-Tang』とはリリックの内容がかなり変わっており、ハーレムを中心に発達していったアフリカン・アメリカンの信仰共同体Five-Percent Nation(ファイブ・パーセンターズ・ネーション)の教義に深く影響されたバースを多用している。Nielsen SoundScan(ニールセン・サウンドスキャン)によると、今作は現在までに世界で830万枚以上を売り上げるヒットとなっている。
『Wu-Tang Forever』はRZAが構想していた「5カ年計画」の終結を意味していた。RZAは同アルバムが成功を収めた後、かつて彼がしていたようなウータン関連作品全てに対するプロデュースを止め、彼の役割の大部分をプロデューサーのOliver “Power” Grant(オリバー“パワー”グラント)や弟であるMitchell “Divine” Diggs(ミッチェル“ディバイン”ディグス)らに委任するようになった。この動きは音楽業界においてウータンの領域を拡大するため、そしてグループが資金調達において有利な立場に立つためになされたものである
『Wu-Tang Forever』のリリース後、Wu-Tangの焦点は関連するニューカマーのアーティストたちのプロモーションがメインとなっていく。まずはグループの準メンバーのCappadonnaが1998年3月に『The Pillage』でデビュー。そのすぐ後にはKillah Priest(キラー・プリースト)が『Heavy Mental』をリリースし、高い評価を得る。またKillah Priestが所属していたグループSunz of Man(サンズ・オブ・マン)、4th Discipleの所属していたKillarmy(キラーミー)などもアルバムをリリースし、高評価を得た。その後、Wu-Tangのメンバーによる新曲ソロトラックや関連するラッパーやグループの曲を集めたコンピレーション『Wu-Tang Killa Bees: The Swarm』が発売になった。その他にもPopa Wu(ポパ・ウー)、Shyheim(シャイヒーム)、Wu-Syndicate(ウー・シンジケート)らのアルバム、Gravediggazのセカンドアルバム、ほかベストアルバム、Bサイド・ベストなど多くの作品がリリースされている。
この時期には先にソロアルバムを発表した5人のメンバーに加えMasta Killa以外の残りのメンバーもソロアルバムをリリースしている。RZAが『Bobby Digital in Stereo』を、Method Manが『Tical 2000: Judgement Day』とRedman(レッドマン)とのコラボ『Blackout!』、GZAが『Beneath the Surface』、Ol’ Dirty Bastardが『Nigga Please』、U-Godが『Golden Arms Redemption』、Raekwonが『Immobilarity』、Ghostface Killahが『Supreme Clientele』、Inspectah Deckが『Uncontrolled Substance』をそれぞれリリースし、そのうちの7枚は1999年7月から2000年1月の7か月という短い期間に次々と発表された。またRZAはJim Jarmusch(ジム・ジャームッシュ)監督の映画『Ghost Dog: The Way of the Samurai』の音楽スコアを担当している。
1997年から2000年のあいだのおびただしい数のWu-Tangの関連作品のリリースにより、批評家の中には「過飽和状態を生みWu-Tangの人気に陰りを落とす結果となった」と言う者もおり、メンバーのソロ作品も1作目ほどの高い評価を受けるものはなかったが、そんな中でGhostface Killahの『Supreme Clientele』は好評価を受けた1枚となった。
2000–01: The W, Iron Flag and New Millennium
(2000-2001:「The W」と「Iron Frag」)
カルフォルニアで保護観察期間中に違反を犯したとして服役していたODBを除くWu-Tangのメンバーは、3枚目のアルバム『The W』の制作のために再度集結した。ODBは服役中にも関わらずSnoop Dogg(スヌープ・ドッグ)をフィーチャーしたトラック「Conditioner」に参加。ボーカルは受刑者たちが訪問者と話すために刑務所内の面談室に設けられた電話経由で録音されたものである。このアルバムではRZAのプロデュースが高い評価を得ることに成功、アップテンポの「Gravel Pit」はヒットシングルとなり、ダブルプラチナを獲得するに至った。
『The W』のリリース直前、ODBはリハビリ施設からロサンゼルス裁判所への移送中に逃走し、『The W』リリース記念パーティに登場。外で警察が待ち構えている中を再び逃走して、その6日後にフィラデルフィア北部のマクドナルドでファンにサインをしているところを逮捕された。
続いて2001年には外部プロデューザーやゲストを幅広く起用したグループ4枚目のアルバム『Iron Flag』をリリース。Ronald Isley(ロナルド・アイズレー)、Flavor Flav(フレイヴぁ―・フレイヴ)らをフィーチャーし、有名ヒップホップデュオTrackmasters(トラックマスターズ)を起用。このアルバムは高い評価を得る一方で、ファン達からはこれまでほどの輝かしい評価を得るには至らなかった。Ghostface Killahは後に公然とこのアルバムについて非難している。
2004: Legal issues, death of Ol’ Dirty Bastard and resurgence
(2004:合法的論争とODBの死、そして再集結へ)
■U-Godとの不仲
2004年はじめ、グループに対する嫌悪感からU-Godが離脱。『Rise of a Fallen Soldier』というDVDの中でU-Godは、グループ内でのRZAの彼に対する扱いが問題であったとし、RZAが自身のソロアーティストとしての成功を邪魔したとしている。U-Godは自身の弟子で結成したHillside Scramblers(ヒルサイド・スクランブラーズ)とともに2004年3月に『U-Godzilla Presents the Hillside Scramblers』をリリースしている。その後とあるラジオ生放送での電話において会話がヒートアップした2人の不仲は最高潮に達したが最終的には和解し、U-Godはグループに復帰。その後はソロアルバムやWu-Tangアルバム、その他のプロジェクトで大きくフィーチャーされるようになった。
■ライブツアー、コンピレーションアルバム
2004年は短いヨーロッパツアーを皮切りにカリフォルニアでのRock the Bells(ロック・ザ・ベルズ)フェスティバルにフルメンバーで登場、数年ぶりに初めてのヘッドライナーを務めることとなった。この時の模様はライブ音源化され、DVDつきの『Disciples of the 36 Chambers』としてリリースされた。また同年には「Protect Ya Neck」の未編集バージョンや「Method Man」のリミックスを含むベストアルバム『Legend of the Wu-Tang』も発表している。
■ODBの死
Wu-Tang ClanにおけるODBのキャリアはやりたい放題かつ犯罪行為にあふれたものだったと言える。1998年のグラミー賞において、ODBは年間最優秀楽曲の受賞スピーチを行う Shawn Colvin(ショーン・コルヴィン)を遮りWu-Tangがベストラップアーティストを受賞できなかったことについて不満をぶちまけた。またODBは暴行、万引き、コカイン所持などで幾度かの逮捕歴を持っている。2000年10月、裁判所命令で滞在していた麻薬常用者のリハビリ施設を抜け出し、1か月ほど逃亡生活を送る。Wu-Tangの3rdアルバム『The Wu』のリリースパーティでは、酒を片手にステージに登場をし、その後も逃亡を続け、2000年11月終わりに、フィラデルフィアのマクドナルドでファン相手にサインをしているところを逮捕されフィラデルフィア刑務所で数日過ごした後にニューヨークに移送された。マンハッタン裁判所では2年から4年の服役を言い渡された。服役後はRoc-A-Fella Records(ロッカフェラ・レコーズ)との1億ドル(約100億円)の契約を結んでいる。
2004年11月13日、自身の誕生日の2日前であったこの日はニュージャージーのContinental Airlines Arena(コンチネンタル・エアラインズ・アリーナ)で再結成コンサートが予定されていたが、ODBはグループのレコーディングスタジオである36chambersで倒れそのまま還らぬ人となった。葬儀はブルックリンのChristian Cultural Center(クリスチャン・カルチュアル・センター)にて執り行われた。
Wu-TangはODBに対する敬意を表し、2006年8月ニューヨークのWebster Hall(ウェブスター・ホール)で行われたライブでは彼の息子の1人をステージに上げ、ODBの母親とともに「Brooklyn Zoo」をラップさせた。また同じニューヨークのHammerstein Ballroom(ハマースタイン・ボールルーム)でのライブでも、クルーと観客が「Shimmy Shimmy Ya」を歌う中彼の母親をステージに登場させている。
彼の死後、2005年3月に多くの新曲を含むmixtape『Osirus』がリリースされているが、彼の3作目となるはずであった『A Son Unique』は数々の発売延期を経て、彼の5周忌を記念するものとして2009年11月にダウンロードのみで発売されたものの、後にRoc-A-Fella Recordsが販売を中止している。
2006–10: Fourth round of solo albums and 8 Diagrams
(2005ー10:ソロアルバム第4弾と『8 Diaglams』)
2005年にはRZAの著書である『The Wu-Tang Manual』やU-Godのセカンドソロアルバム『Mr. Xcitement』、そして長く期待されていたGZAとプロデューサーDJ Muggs(DJマグス)によるコラボレーションアルバム『Grandmasters』がついにリリースされた。
2006年3月にはGhostface Killahがストリートラップに重点をおいた『Fishscale』をリリースし高い評価を獲得、商業的にも成功を収めた。本作にはCappadonnaや故ODBを含むフルメンバーがトラック「9 Milli Bros」に登場している。その成功をもとにDef JamはGhostfaceに年内にもう1枚アルバムを出すことを勧めるも、同年12月にリリースされた『More Fish』は『Fishscale』ほどの勢いを持つことはなかった。
2006年6月にはInspectah Deckがストリートアルバム『The Resident Patient』をリリースした。この作品は後にリリースする予定の、彼の最後のソロアルバムとなる予定だった『The Rebellion』の序章として発売された。同年8月にはMasta Killaによるセカンドソロアルバム『Made in Brooklyn』とMethod Manの4thとなる『4:21 …The Day After』がリリースされる。この時期、以前の作品に対するDef Jamの扱いに不満を持っていたMethod Manはよくメディアに登場するようになる。彼曰くDef Jamの他のアーティストに比べてあまりプロモーションがされなかったという『4:21 …The Day After』だが、結果的に発売初週にビルボードチャートのトップ10に登場し、以前の3作品よりも高い評価を得ることとなった。またそれまで俳優としても活動していたMethod Manだが、この頃からハリウッド映画への出演を控え、友人の手掛ける映画だけに絞り始める。
2007年の夏にはRaekwonの1995年のソロデビュー作『Only Built 4 Cuban Linx』の続編となる『Only Built 4 Cuban Linx… Pt. II』がDr. Dre(ドクター・ドレ)のAftermath Entertainment(アフターマス・エンターテイメント)からリリースされる予定だったが、幾度かの発売延期を経て最終的に自身のIce H2O Records(アイスH2Oレコーズ)とEMIから2009年9月にリリースされた。
Ghostface Killah は2007年12月に7枚目のフルアルバム『The Big Doe Rehab』をリリース、そしてそのちょうど1週間後にWu-Tangとして5枚目のフルアルバムである『8 diaglam』がLoud Recordsの元CEOだったSteve Rifkind(スティーブ・リフキンド)のSRC Records(SRCレコーズ)からリリースされた。MTV.comのインタビューでGhostfaceは、『The Big Doe Rehab』の制作中にRZAが『8 diaglam』のプロジェクトを始めたこと、また当初は2枚が同じリリース日を予定していたことに対して動揺していたと語った。『8 diaglam』はRZAの最も実験的な作品と見なされており、ファンや批評家からは賛否入り交じった評価を受ける結果となった。 RaekwonとGhostface Killah はこの作品に不満を漏らしており、RZAの関与なく『Shaolin Vs. Wu-Tang』と名付けたグループアルバムのレコーディングを提案した。
2008年夏、RZAはサイドプロジェクトBobby Digital(ボビー・デジタル)名義での4thアルバム『Digi Snacks』をリリース。Freemurder(フリーマーダー)、Killa Sin(キラ・シン)、Black Knights(ブラック・ナイツ)といった知名度が低めのWu-Tang関連グループやラッパーたちを起用した。また同じ2008年夏にはGZAの5thソロアルバム『Pro Tools』もリリースされている。
その約1年後にはWu-TangやWu-Tang関連のアーティストたちが参加したU-Godの3rdアルバム『Dopium』がリリースされ、その1週間後にはRZAがエグゼクティブプロデューサーを務めたWu-Tangのサイドプロジェクト『Wu-Tang Chamber Music』がリリースされる。RaekwonやGhostfaceといったWu-Tangのメンバーはもちろん、AZ、Kool G Rap(クール・G・ラップ)、Mobb Deep(モブ・ディープ)のHavoc(ハヴォック)らニューヨークのベテランラッパーたちが参加し、ブルックシン出身のソウルバンドThe Revelations(ザ・レベレーションズ)のライブ演奏をフィーチャーしたアルバムとなっている。
2009年9月には、発売延期などで長いあいだファンが待ち望んでいた『Only Built 4 Cuban Linx… Pt. II』がついにリリースされる。これまでと同様Wu-Tangのメンバーに加え何人かのビッグネームをフィーチャー、プロデュースにはRZA、Dr. Dre、Pete Rock(ピート・ロック)らが参加している。今作はビルボード200を発売初週に4位、Top R&B/Hip-Hop Albumsに2位で登場し、音楽批評家たちからも高い評価を得た。その数週間後にはGhostfaceが8thアルバム『Ghostdini: Wizard of Poetry in Emerald City』を発表している。
2009年7月には、RZAのプロデュースなしで計画されていた『Shaolin vs. Wu-Tang』の話が再度浮上し、最終的にRZAは制作への口出しを一切しないMCだけという形で参加することになった。
「今回RZAにプロダクションを任せない理由は、オレたちが彼から本当に必要としているモノがなにかを彼に理解してもらうこと。RZAにはMCとして参加してもらうけれど、プロダクションには関わらないということがコンセプトだった」(Raekwon、MTV.comのインタビューにて)
またMTV.comのインタビューで、Method Manは自身とGhostface Killah、Raekwonの3人によるコラボレーションアルバムの計画があることを明らかにした。
「まだ確定というわけじゃないけど、話をしているところなんだ。ファンがどんな反応をするか見てみたいと思っている。既にRZAがプロデュースしたトラックがいくつかあるし、外のプロデューサーにも何曲か手掛けてもらう。もちろんWU-Tangのメンバーにも参加してもらうけど、間違いなくGhostface、Raekwon、そしてMethod Man、3人のアルバムになる」(Method Man)
このインタビューの直後に、Ghostfaceがこのアルバムについて数か月以内にレコーディングを行い、リリースは2009年年末か2010年の1月を予定しているなどの詳細を明らかにし、3本の予告編ビデオとともにアルバムのタイトル『Wu-Massacre』が発表された。その後アルバムのリリースが2010年3月30日に延期になったことが発表され、直後にシングル「Meth vs. Chef Part II」がリリースされた。この曲はMethod Manのファーストソロアルバム『Tical』に収録された「Meth vs. Chef」のアップデートバージョンで、Method ManとRaekwonのバースのみがフィーチャーされている。またRaekwonは計画中の『Shaolin vs. Wu-Tang』が最終的に自身のソロアルバムとなることを発表した。
2011年2月25日にはグループのオフィシャルFacebookページ上にて、未発表フリースタイルを収録した『Wu Tang Live At The Palladium NYC』が100ダウンロードという超限定でリリースされた。
Business deals(デジタル配信契約)
2008年9月、RZAはWu-Tang Clanのバック・カタログを世界中にデジタル発信するためにデジタル音楽配信会社であるThe Orchard(ザ・オーチャード)と契約を結んだことを発表。それ以降に発表する作品はもちろん、グループ、U-God、Wu-Syndicate、Killarmy、Shyheim、Black Knights、West Coast Killa Beez(ウエスト・コースト・キラー・ビーズ)他、Wu-Tangと関連アーティストたちによる、それまでデジタル音源で手に入れることの出来なかった13作品を9月23日から配信開始した。
Documentaries(ドキュメンタリー)
2008年11月13日には、BETでGerald K. Barclay(ジェラルド・K・バークレー)が監督を務めたドキュメンタリー『Wu: The Story of the Wu-Tang Clan』が放送され、その5日後の11月18日にはDVDが発売された。2009年11月10日にはOl’ Dirty Bastardの家族やWu-Tangのメンバーのインタビュー、また生前のODBのインタビューやライブ映像などが収録されたODBのドキュメンタリー『Dirty: The Official ODB Biography』がリリースされている。
2011–present: A Better Tomorrow
(2011-現在:「A Better Tomorrow」)
2011年6月には、Wu-Tangがまだ初期段階ではあるものの新たなアルバムの制作に取り掛かったことをRaekwonが発表、ヨーロッパツアー中にGhostface Killahがそのアルバムが2012年5月には店頭に並ぶだろうと明かした。しかしその後オンラインメディアPitchfork(ピッチフォーク)でGZAが新アルバムの可能性を否定する。しかし一転して同年9月には、ラジオ番組Sway In The Morning(スウェイ・イン・ザ・モーニング)にてRZAが「2013年11月はオレたちの結成20周年になる。だからメンバーにまた集まって記念のなにかをやろうぜと提案したんだ。だからうまくいけば『Enter the Wu-Tang』の発売日と同じ日かその前後には出すことが出来るかもしれない」と新たにその可能性を肯定している。しかし、またその後にRaekwonはメンバーそれぞれがこのアルバムの制作のためになんらかの行動を起こさないことには進められない話だとしている。
2013年1月9日、Wu-TangのオフィシャルFacebookページ上で6thアルバムについての発表が行われ、同年3月にMethod Manがアルバムを制作中であり『Enter the Wu-Tang』の発売から20周年である2013年中に記念作品としてリリースされることを発表した。準メンバーであるCappadonnaも、アルバムがニューヨーク、ロサンゼルス、そしてニュージャージーにてレコーディングされていることを語っており、RZAもアルバムに収録されるトラックについてコンポーザーであるAdrian Younge(エイドリアン・ヤング)と話をしていることを話した。2013年4月11日には新作のタイトルが『A Better Tomorrow』となり、同年7月のリリースを予定していることが発表された。2013年4月下旬、Wu-TangはカリフォルニアのCoachella Valley Music and Arts Festival(コーチェラ・ヴァレー・ミュージック&アート・フェスティバル)でパフォーマンスを行った。5月17日にはRZAのレーベルSoul Temple Records(ソウル・テンプル・レコーズ)からWu-Tangの未発表楽曲「Execution in Autumn」がリリースされる。またグループはニュージャージーのMetLife Stadium(メットライフ・スタジアム)で開催されたHot 97 Summer Jam(ホット97・サマージャム)でも、グループが第一回Summer Jamでパフォーマンスを行ってからちょうど20年目となる同年に再びパフォーマンスを行う。6月5日にはSoul Temple Recordsのウェブサイト上でMasta Killah、Method Man、Ghostface Killah、RZAをフィーチャーしたプロモーショナルシングル「Family Reunion」がリリースされた。
2013年6月には、RZAがRaekwonとGZA以外のメンバーが既にアルバムの制作に参加していること、レコーディングがニュージャージーにあるWu-Mansion(ウー・マンション)とWu-Mansion West(ウー・マンション・ウエスト)で行われていること、そしてOl’ Dirty Bastardによる未発表のバースが収録されること、また同時にアルバムが2013年11月のリリースになることを予定していることを語った。2013年7月にはCappadonnaがアルバムの制作が半分終了していることを話したものの、11月になるとRZAはアルバムについてGhostface、Raekwon、GZAからの貢献がまだ必要であることをもらした。そのすぐ後、Method ManはRaekwonがこのアルバムの制作に全く参加してないこと、そしてGhostfaceがまだ2曲のレコーディングにしか参加していないということを明らかにした。11月下旬になるとRZAがアルバムはあと6週間で完成すると明かしたものの、Reakwonとのグループやアルバムの方向性に対する幾度かの口論を経て、ついに和解、2014年1月、オフィシャルFacebookページ上にて『A Better Tomorrow』が近日リリース予定であることが発表される。しかし4月にもRZAはRaekwonがまだ制作に参加しておらず、このままではアルバムがお蔵入りになるか、Raekwonなしでのリリースになるだろうとインタビューに語っている。そのため2014年7月現在に至ってもまだ、リリース日は未定のままである。
■Wu-Tang Clanメンバー■
■WU- TANG CLAN ALBUM■
Enter The Wu-Tang
Wu-Tang Forever
The W
Iron Flag
8Diagrams
A Better Tomorrow
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