Rza(レザ)とCilvaringz(シルバリングズ)が88年後リリース予定のWu-Tang Clanの次作アルバムについて語る

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昨年の3月26日、the Wu Tang Clan(ウー・タン・クラン)は次作アルバム‘Once Upon a Time in Shaolin…’(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・シャオリン)を1コピーのみのリリースとすることを発表した。

情報消費の社会で表面的な取り上げられ方をし、経済的にも体験的にも音楽の価値が下がっていることを危惧し、the Clanは急進的な試みに踏み切った。

もし社会が簡易な消費主義のなかにアートとしての音楽を衰退させていくなら、彼らは自身の最後のアルバムを音楽の核心に取り戻すために捧げるつもりである。
唯一の作品となり、類のない創造的で職人的でアート精神に基づいた作品として永遠に残るだろう。

 

■アルバム企画者Rza & Cilvaringzへのインタビュー■

当のレコードについて最新の情報を教えて下さい。ここ数ヶ月は秘密に包まれてきました。

RZA(リッザ)−最初の発表からは興味深い数ヶ月だったよ。巷で様々なことが論じられている間、俺たちはオークション会社やアートの専門家それに法律家や音楽会社の重役達と面白い話し合いをプライベートで重ねていた。 ‘Once Upon a Time in Shaolin’は音楽産業とアートの世界のいづれのしきたりにも属さない。そして誰も既存の枠組みにあてはめることが出来ない。極論を言えば作品自体が独自のルールを描き、運命を定めているんだ。だけど俺たちはその取り上げられ方のために純粋にその過程に人々の視線を向けさせることが出来なかった。

 

個人的なコレクターだけでなくコマーシャル会社からの関心がありましたか?作品をリリースしたいと持ちかけられたらどうしますか。

CILVARINGZ (シルヴァリングス)−第一に俺たちはどんなことをしてででもそれを手に入れたいとう買い手が欲しかった。だがコマーシャルの影響力の大きさを知ったとき、俺たちはコマーシャルをすることがアート作品としての作品の前途を傷つけることになると考えるようになったんだ。たとえコピーをいくら集めてもオリジナルにはかなわないとしても。コマーシャルと大量生産はアート作品としてアルバムの価値を薄めるものになるし、俺たちの志の高潔さに反するものになると感じるんだ。

RZA−絵画や彫刻を購入するとき、人はそれを複製する権利というよりもただその作品を手に入れているだけだろう。ピカソの絵画を所有することはプリントやレプリカを売ることができることを意味しない。ただ唯一の本物の所有者ということなんだ。そしてそれが ‘Once Upon a Time in Shaolin’がコピーではなく唯一オリジナルである理由だ。

CILVARINGZ –俺たちはアートの世界のしきたりに反抗するか、そして購入者にリリースの権利を明け渡すかをじっくり考えた。しかしそういう急進的なコンセプトの後にすぐ一般にリリースとなったら俺たちの持ち続けてきた志を無効にしてしまうと心から感じたんだ。だから俺たちはアルバムのリリースの権利を88年後に渡すことに決めた。

 

なぜ88年後なのですか。
RZA –the Wu-Tang Clanをよく知る人なら俺たちかよく数字的、数学的それにシンボルとして数字を選んできたのを知っているだろう。おれたちが”Protect Ya Neck”(プロテクト・ヤ・ネック)と” M.E.T.H.O.D Man.” (メソッド・マン)を作った時 Clanはオリジナルのメンバー8名のみで、このシングルの仕掛人がナンバー8をジャケットのなかに使ったんだ。ナンバー8を寝かして“インフィニティ”のマークにしてね。 そしてそのマークは’Wu-Tang Forever’(ウータン・フォーエバー)でも使われた。ただ数学的な一致と言えるかもしれない。でも俺たちにとっては偉大で象徴的なサインなんだ。それにこのマークは量産してすぐに消えていく消費音楽への俺たちの意思表示でもある。このレコードは目先の利益の追求ではなく、音楽の遺産であり俺たちの主張を表現しているものなんだ。

 

1コピーのみにするということが本当にその作品にとって唯一の方法であり、自然なことだと感じるのですか。

RZA –アートは究極のものだ。人々の考えを変える方法だし、それは限界の所から生まれる。妥協や小さな変動では大きな変革はこれまでも起こらなかった。その影響が広がりを見せたら、その時には妥協もありえるが最初の志は身を切るものでなくてはならない。

博愛主義者が作品を購入しそれを無料でリリースするというシナリオはどうですか。

RZA –場合によってはそれは可能だ。しかしその購入者がするだろう投資を考慮しても、俺たちはそれはあり得ないと考える。

 

ある人はこのシングルコピーのコンセプトはエリート主義の非難を受けやすいと論じています。なぜたった一人のみがこれを所有出来るのだろうかと。排他的であり、手に入れられるかは財政状況に基づいています。

RZA –最終的なゴールはエリート主義の反対にあるものだ。しかし、ああ、このアルバム自体は資金力のある人のみ手にすることができる。一人だけが権利を手にすることができる。しかしこのアルバムを所有する賞賛と栄光を思い描き、この作品のもたらす志に焦点をあててくれ。すべてのミュージシャンの利益の為に音楽の価値を上げようとしているのが解るだろう。 ‘A Better Tomorrow’ (ア・ベタ・トュモロー)は全てのファンのためのものだけど、’Once Upon a Time in Shaolin’は違った目的で作られた。この二つの作品がそれぞれバランスを取っているんだ。

CILVARINGZ – 録音された音楽はその瞬間の価値を失う。もっともその被害を被るのはアーティストだ。頂点にいるアーティストは他の潜在的な収入源を持っている。ツアーをやったりライセンスを持っていたり、ファッションや映画とのコラボなど多様だ。しかしまだ駆け出しのインディーズのミュージシャンはこういう収入源がない。だから数千枚のアルバムを売らなくてはならない。

RZA –確かに。そしてその録音された音楽には価値があまりない。インティーズのアーティストは生計を立てることが出来ない。熟考して制作する場所もなく食べるために音楽を止めることを強いられる。そうやって音楽は既存のレコード会社やすでに力を持った人達の手に落ちる。俺たちが言ったように―これは大々的な想像だが、アルバムを1コピーにすることがすぐに全ての音楽の価値を上げることになるとは思わない。だが俺たちのやり方が論争となり広がれば、結果的に音楽への見方を変え、アートとしての価値や真価を認めさせることができる。おれたちはそのために生け贄になったんだ。

CILVARINGZ – 素晴らしい体験を得るには投資が必要になる。時間や金、情熱や感情といったね。俺たちは常に何のために音楽をやるのかを追い求め、簡単に手に入れられる物以上のもの得ようとしてきた。俺はやっと稼いだ金を握りしめてアルバムを手に入れるために列に並んだことを今でも覚えている。それを手に入れるために投資した過程が、音楽を聴いた時の体験を深いものにする。そして別の論ずべきポイントがそこにはある。どこにいても音楽を聴けることは音楽体験の価値を下げるかどうかってことをね。」

 

しかしなぜ人は数百万ドルでこういった作品を所有したいと思うのでしょうか。

RZA –高価な値がついているから所有したいと考えるべきではない。これはDNAを表す指紋、無類の存在なんだ。歴史の一辺であり遺産の封印だ。購入者は歴史的な、誰にも聴かれていない、決してリリースされないWu-Tang Clanのアルバムの世界でたった一人の所有者となる。一枚のコピーもバックアップも存在しない。俺も他のClanのメンバーも誰ひとりコピーを持っていない。たった一つだけなんだ。

 

遺産の封印と言いましたが、それは今後WU-TANG CLANのアルバムはリリースされないということを意味するのですか。 

RZA –運命は解らない、でもおおよそこの‘Once Upon A Time In Shaolin…’ が最後の Wu-Tang Clan のアルバムになるだろう。
‘ONCE UPON A TIME IN SHAOLIN’    ‘A BETTER TOMORROW’ にはどんな関係性がありますか。

RZA –二つの完全に異なったコンセプトがある。―音楽的にも世の中への届け方でも。 ‘Once Upon a Time in Shaolin’ はまさにWuらしく俺たちの歴史をタイムカプセルで包んだような無類の作品だ。‘A Better Tomorrow’は未来にまつわる作品だ。―新しい境地、新しい音。この二つは共に歴史と未来を繋いでいる、陰と陽なんだ。この21年間を顧みるために、この二つのアルバムの中のそれぞれの俺たちのアイデンティティを統合させることが重要だったんだ。だが二つのアルバムは固有の考えと音を残している。

 

‘ONCE UPON A TIME IN SHAOLIN’の音楽的な部分とその背後の哲学についてはどうでしょうか。

RZA –音楽的に、このアルバムはリスナーを俺たちの通過してきた90年代への回顧の旅へと導くものだ。あまり情緒的でも抑揚的でもない。当時とは今では違う。だけどこのレコードは当時の様につくられている。今流れてるどんなものとも違って聴こえる。まさに俺たちの起源をなぞり、再現しているんだ。’36 Chambers’(36チャンバーズ)‘Clan In The Front’(クラン・イン・ザ・フロント)のイントロを聴けば、オリジナルにこだわるWu-Tangの活動への俺のリスペクトを耳にするだろう。俺たちはリアルでディープなトラックを回した。そしてそのトラックに寸劇を乗せてリスナーを引き込んだ。それはレコーディングにおける時間の概念をより偽りないものに変えたんだ。

CILVARINGZ – このアルバムはとんでもない体験となると宣言するよ。聴くというよりもむしろ何かを体験するという方が近い。俺たちはラジオ等のどんな既存の媒体にも曲の長さなどの制作の制約を受けないようにしようと早い段階から決めていたんだ。ただ曲の求める方へ進んでいっただけだ。音的には、砂っぽくて、生々しくて、メロディックで、不気味で、暗い。これを聴いたリスナーとWu-Tangとの間に恋が芽生える。‘Once Upon A Time In Shoalin’ってタイトルがまさにそれを表現している。

 

最後に、巡回展示に関してどう考えていますか。.

RZA –美術館やギャラリーやアート団体など世界中から沢山の反応があった。そして俺たちはその日程の計画を始めたところだ。ただ興味をもってくれたコレクターやギャラリーとの話し合いの後、大きな懸念が生まれた。コマーシャルは唯一の選択肢ではない。そして展示会に関しては作品の所有者と相談し話し合った後に考えるべきと感じたんだ。世界中にこのアルバムを流すことや所有者の選択を制限するよりもこれが唯一フェアなやり方だと思う。世界中でこの作品をシェアするかプライベートに止めるべきかは所有者の選択によるべきだ。

▼Wu-Tang Clanプロフィール▼
http://illegal-assembly-of-music-dark.com/wu-tang-clan/

▼Wu-Tang Clan情報一覧▼
http://illegal-assembly-of-music-dark.com/category/artist-info/wu-tang-clan/

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